オートバイの楽しみ方
オートバイの楽しみ方は人それぞれ。
多くの人が共感する楽しみ方から本人にしか理解できないものまで多種多様。
ある日自分の友人は言った。
バイク乗るなら速く走らなきゃ意味ないだろ と。
彼はその言葉を実現するべくSSバイクの購入に踏み切り、念願のバーンストームアタックを繰り出すようになった。
その言葉を聞いた当時は色々と反論が浮かんだわけだが、今では別にそれでもいいじゃないかと思っている。
スピードを出すのは楽しいというのは事実だし、自分もかつてバーンストーマーであった身であれば何か言えたわけでもない。
結局は「そうですね」という適当な同意で友人とのやり取りは終了したが、しばらく内心では同意とは正反対の事例が列挙されていた。
それらは次のようなものになる。
スピードを出すどころか静止する事に意味がある人達。
登る前に静止しなきゃならん人達は登ったあとも落下しないために静止しなきゃならない。
スピード? そもそも乗っているオートバイにはメーターすら付いてない。
CB400SFを教習場の一本橋の上で静止させた猛者を知っているが、そういう人達。
乗るならばまずはバラす(分解)、それどころかバラすためにまずは乗るという人達。
思い立ったらエンジンの腰下までバラしてしまう人達。
スピードが出る原因をバラしにかかっている人達に言わせると、スピードを出すにはまずバラさなきゃならないらしい。
何もかも滑らかに不具合なく動けばスピードは出る。
組み立ててスピードを出す日は来年とかになるけれども。
泥とか斜面でもがき苦しみ脱出することに意味を見出している人達。
困難という文字が愉悦に変換されるような人達。
サイレンサーから白煙を放出し、ヌタ場を脱出してキックペダルを狂ったように踏み込む。
彼らが目指すのは次の困難。
乗るどころか部屋の中に飾るという人達も存在する。
オートバイを分解して運び込み部屋の中で組み立ててディスプレイしてしまう人達。
2気筒なら人力でイケるかどうかはわからないが、バラしたオートバイはエンジン以外なら自分一人で持てないパーツはないので不可能ではない。
日課は部屋に飾ってあるオートバイのホコリを払うこと。
ホコリは水分を吸ってサビとカビの原因になるので毎日除去しなければならない。
たまには換気しながらワックスを掛けるのもいい。
スピードどころか一人では外に出すのが不可能。
意味はある。
そのことはわかっている。
友人がその事を理解しないのはかまわないが、自分がその事を確信できないのが引っかかった。
どこか、納得できない部分がある。
年齢は理由にならない。
友人は自分より一回りも年上だ。
キリンに出てきた先生の言った通り結局は速いか遅いかの違いだけなのか?
ある日から数年後、2019年まで考え続けた事だった。
意味はあった。
それはCB1100を時速50キロで走らせている時に見つけることが出来た。
スピードを出している時と同じかそれ以上に楽しい。
いつも使っている速度域とは違う速度で走った時に感じられるという意味では、スピードを出す事と同じとも言える。
スピードを出すことを否定するわけじゃないし、友人を否定するわけでもない。
意味はあるという確信の根拠を求めてみたかったのだ。
じつは考える必要もなかったかもしれない。
走り出せ、と。
走り出せば楽しむ事に集中し、その中に答えはあったのだ。
自分はまだ来た道を戻る楽しみがわからず、雨の中を走る楽しさもわからない。
よく考えたら自分は何が楽しくてオートバイを走らせているのかすらわからなくなって可笑しくなってきた。
走りたい。
今年は大変な少雪で、このまま季節が進めば次のシーズンの幕開けは早いかもしれない。
あと2ヶ月と少し。
次のシーズンが待ち遠しい。